ようやく騒々しい参議院選挙が終わった。
共産党まで加わっての野党大合同はなぜ負けたのか、当事者たちはどうも判っていないような気がする。
自民党のアベノミクス一辺倒、経済は確実に良くなりつつある、という主張に対し、荒唐無稽な憲法を守れ、安保法案破棄、戦争反対ではあまりにリアリティが無さすぎる。いい勝負になる筈だった選挙をみずからぶち壊したのは、民進党以下の自称革新勢力ではなかったか。 チェックする、チェックする、安保法案反対だけでは、それならばと政治を托そうというという気にならない。
南沙諸島を軍事要塞化し、尖閣をとりまく岩礁群を着々と軍事化し、尖閣接続水域にフリゲート艦まで連日出してくる巨大な中国拡大主義にたいしての対案がまつたくない。息をひそめてじっとしていれば、中国が引き下がると思っているその脳味噌が信じられない。
国を守る、国民を守らなければ大変なことになる、という危機感がまつたくないのが、革新陣営の人々だった。戦争反対あたり前のこと、我々はB-29 の爆弾の下をくぐり、艦載機の銃撃に追い回され、食べるものも無く生きてきた、誰よりも戦争反対なのだ。
が隣国は違う、ミサイルを装備し、千年前の歴史を引っ張り出して領土論をふりかざすナラズモノ国家なのだ。いつ何時侵略の手が襲ってくるかわからない。
憲法9条があれば、尖閣は安全なのか。憲法9条があっても竹島は獲られたではないか。左翼のとなえる
憲法論はあまりに現実性がなく、ご利益のない念仏のようなものだ。宗教ならば念仏は心にとどくが、国際情勢に念仏はまつたく無力なのだ。
国防に対してこれ程無関心で、具体案のない政党は世界中さがしても見当たらない。シールズとかいう知的レベルの低い学生たちとパフォーマンスを繰り広げても大衆はついてこない、という現実に目覚めるべきだ。
安保法案を戦争法案と言い換えて大衆に訴えるなど、人びとの知性を馬鹿にした手品師のようなものだ。
カラ念仏の野党大連合
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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