玉城デニー知事ひきいる「オール沖縄」は、遂に馬脚を表した。
「オール沖縄」なる名前があまりにも図々しく謙虚のひとかけらも見られないが、嘘を信条とする左翼政治家にとっては当りまえの名称なのだろう。名前の気持ち悪さに於いて「都民ファーストの会」に匹敵する悪名である。
が長年、沖縄タイムスと琉球新報のマインドコントロールにかかっていた沖縄の人々がようやく覚醒し、日本の同胞としての沖縄のアイデンティティについて思いが戻ってきたような喜びを感じている。
そもそもヤマトンチュウもウチナンチュウも共に戦争を戦ってきた。沖縄は前線の戦場と化し大変な被害を受けた、東京もB29の度重なる爆撃により焦土と化した。広島、長崎も原爆の犠牲となった。 沖縄だけを犠牲にして戦ったわけではない。日本全土が戦争の被害を被ったのだ。
にもかかわらず沖縄だけに戦争の被害を負わせたというメディアの操作により、反日の機運が沖縄全土に広がっていった。この責任はもっぱら沖縄の反日左翼紙にその責任はあるが、戦後日本政府は沖縄返還にこぎつけるまでの努力、あるいは沖縄博の開催、巨額な財政支援とかなりのエネルギーを注いできた。返還前のあの沖縄を知る筆者は、よくぞここまで沖縄は立ち直ってきたと感じている。
うるま市市長選、南城市市長選、名護市市長選とようやく保守系の市長が勝利を手にした。
世界一危険といわれている普天間基地の異常な放置も、ようやく辺野古への移転でメドがついてきた。
米軍基地を追い出して、沖縄に永久平和が訪れるのなら反対活動も意味があるが、代わりに中国の侵攻をうけたら身も蓋もない。オール沖縄には、丸裸の日本の認識がない。国を愛するなら考えられない政治運動といえよう。
三つの選挙を通して「オール沖縄」ではないことが証明された。ハーフ沖縄になったという評論家もいるが、正直に現実をみれば、「パート沖縄」でしかない。「オール沖縄」は「パート沖縄」へ、「都民ファースト」は「コイケ・ファースト」へ改名をお勧めする。
オール沖縄はパート沖縄へ
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す