オンフルールにサティは生きている。

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オンフルールにサティは生きている
 今回の撮影行はパリだけでなく、フランスの名勝地にもレンズを向けたいという気分で、まず一番にめざしたのが、セーヌの河口にある小さな港町オンフルールだった。オンフルールは、第二次世界大戦の戦火をかぶっていない貴重な港町だ。
 いちばん奥のヨットハーバーのまわりには、古い木造の教会やらひしめくように建っているレストランや土産物や、その間にワインの酒屋、チーズの店、町役場があり、100年前からまわっている回転木馬などがあって、そのまま映画のセットになりそうな魅力的な港町だ。
 丁度、訪れた日は開港祭の真っただ中、町中がヨットの航行旗に飾られていた。ハーバーのヨットもそれぞれに旗飾りをして、航海にでかけていく。ハーバーの入口には開口式の橋があり、船の出入りの度ごとに橋を上げたり、下げたり、車はじっと20分近く橋の開閉をまつているというのどかな時間がすぎていた。
 町中では道産子のような足の短い馬が、観光客をのせて散策している。
 収穫はエリック・サティの生家、家は彼が生まれ育った当時のままに保存され、サティの音楽観そのままに各部屋は飾られディスプレイされて、実に感動的だった。
 アバンギャルトな創造の部屋、循環するメロディ、環境と音律、作品と白いピアノのサロンでは自動ピアノが
彼の音像をたどり、取り囲んだ数人のファンだけがサティの音楽を浴びることができる。
 作家の仕事場は日本のあちこちにあるが、部屋と机と筆と座布団に手紙や遺筆がかざられてというパターンの
繰り返しで退屈するが、サティのこの小さな家には彼の人生と音楽という過去いがいに、サテイの明日までが
陳列され示唆されて、とても興味の尽きない美術館だった。
 オンフルールではサティを見逃すな、という次第である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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