オペラからお墓への椿姫

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オペラからお墓への椿姫
 パリに実在した高級娼婦の話でありながら、イタリア・オペラ最後の名作といわれているLa Traviata、 椿姫と訳されているのは嘘で、道を踏み外した女というのが正訳とは言い古されてきたこと。モデルとなった実在の高級娼婦アルフォンシーヌ・プレシスにまつわる悲劇の物語にも興味があったが、今回の旅のなかで初めてパリ版のオペラ「椿姫」と対面する機会をえた。
 バスティーユ・オペラ座のあの広い舞台でどんな風に処理されるかと、半信半疑だつたが伝統的なマテリアルを残しながらも、大胆なレイアウトで見事に19世紀初頭のバックグラウンドをみせてくれた。
 高級娼婦というと、日本ではお金次第といったイメージだが、当時のフランス絶対王朝のもとでは貴族たちはクルティザンヌとよばれていた最上の娼婦たちをみな愛妾としてかかえていた。彼女たちはシャンゼリゼーの大通りを金箔に飾られた馬車に乗って晴れやかに走り、夜な夜なパーティを開き、貴族たちはそのパーティに招かれようと競ったと伝えられている。
 ルイ15世の愛妾ポンパドールは、候爵夫人の称号を得て堂々と王宮で振る舞っていたし、その権力は正妻にまさる、とさえ言われていた。そうした貴族たちの美貌と才能にひれ伏した娼婦文化を理解しなければ、このオペラは理解できない。
 先年荒らされていたモンマルトル墓地のアルフォンシーヌ・プレシスの墓を再訪した。
 剥ぎ取られていた彼女の写真はより美しく復活し、ペレゴー伯爵の遺言のごとくに美しい花が手向けられていた。
 大理石の柩も綺麗に洗われて、オペラ「椿姫」の上演を喜んでいるかのようであった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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