数寄屋橋の横を通りかかった。日の丸の旗が100本近くたなびいていた。
3メートル近い竿の先で白と赤の鮮やかな色彩が風にたなびく様はとても美しかった。あちこちに散らばった人々が、それぞれに日の丸を手に起立している。皇居の方から吹いてくる風もたなびくさまを助けて、そこだけが日本を象徴する空間のようにも見えた。
歩いている人もいきなり異界に遭遇したように、一瞬フリーズし、ふたたび歩みはじめている。
トラックのスピーカーは、日本人の不明を責めていた。
「国を守るのに軍隊は必要だ。その軍隊はつねに最新の武器を持たねばならない。日本のようにちいさな島の集合体であれば、何時何処でなにが起こっても、ただちに駆けつけなければならない。そのためにもっとも有効なのは、オスプレーにほかならない。垂直離陸して後、水平飛行に移るこんな素晴らしい飛行機はない。夢の飛行機てもある。そんな簡単な理屈も判らずに、反対を唱えるひとびとは、出ていって欲しい。日本人ではない。オスプレー大賛成。オスプレーの利点を書かない大新聞は中国の回し者か。」そんな趣旨の論を放送していた。
テレビではアラフォーの元女子アナが、「とにかく体罰は絶対いけない。」とヒステリックに発言。横から元関取の舞の海が、「子供とか、若者とかいいますけど、いくら静かに言い聞かせても、性格がねじれてどうにもならない子供もいるんですよ。一発、二発の体罰で良くなる場合もあるんで、なんでもかんでも体罰は駄目というのも…。」
オスプレーも体罰も、反対の大合唱は、日本人の考える力の退化ではないだろうか。
オスプレー・体罰 反対合唱団
コメント
1件のフィードバック
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物事の一面だけを見て大騒ぎする人達、彼らの騒ぎの根源はどこにあるのでしょう?
逆に、パッケージだけ見て商品を購入する、扱いやすい消費者の典型かもしれません。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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