「ハイぶりっ子ちゃん」が評判を呼んでいる。
始まりは信州小諸から山梨北斗を結ぶ海抜日本一の高原鉄道、小海線を走るハイブリット車両「キハE200系」を記念してのお祝いキャラクターだった。
沿線の途中駅中込の駅前商店街が中心となって、ハイぶりっ子ちゃんが誕生した。佐久市に公認を申請したが、市役所にはハイぶりっ子ちゃんの魅力を感じる職員はいなかった。公務員には不感症が多い。
いまになって地団駄ふんでも遅い。市が作ったユルキャラは人気がないが、ハイぶりっ子ちゃんは、群がって写真大会である。
ハイぶりっ子ちゃんは瞬く間に人気者になった。地元のお祭りでも、鉄道フェスタでも、馬子唄道中でも、町で製作したルイーザちゃんを呼ばないで、ハイぶりっ子ちゃんをよんでいる。信州の田舎で唯一の人気キャラクターが誕生した。
ハイぶりっ子ちゃんの本体は、頭の部分の電車とうさぎの顔の被り物が中心のハイブリット生命体、、首から下は乗務員と呼ばれてブルーのレオタードに黄色のベルトをしめている。白の手袋に白のロングブーツ。3人または4人で行動するが、どのハイぶりっ子ちゃんもプロポーション抜群で、中込には20数人生息しているという。
鉄ちゃん、鉄オタはもちろんのこと、子供達にも大人気、ボン・キュッ・パッにひかれてオジサン達にも人気がある。かなりエロいのだが、肌の露出はないのでいやらしくない。マツコの番組に取り上げられてさらに人気倍増した。
ハイぶりっ子ちゃんの軌道外活動は、乗務員が原動力となる。何故かユーロビート調のテーマソングやら、ダンスも踊る。性格や趣味趣向、サイズは乗務員それぞれで異なる。
カラダの線をはっきりと見せる人型妖精は、近頃の進んだ女性たちの共感もよんで、応募者もたえないと聞く。 餓鬼相手の安っぽいユルキャラより、女性の存在をしっかりとアピールしているハイぶりっ子ちゃんははるかに魅力的なのだ。
子供といえば免罪符の最近の風潮に、一石を投じた大人の女性ユルキャラがこの信州に生まれたというのが意味深い。
エロいが正しい「ハイぶりっ子ちゃん」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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