エピローグ・ドレスと称する死装束

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エピローグ・ドレスと称する死装束 エピローグ・ドレスと称する死装束
 死んだときの衣装は昔から白装束と決まっていた。
 白い和服を左前にきせ、三角の天冠を頭に、白い脚絆に白い手甲、草履を履かせ、笠、杖、ずだ袋には三途の川の渡し賃に六文銭をいれる、これが冥途の旅の正装だった。
 それが近頃はだいぶ変わってきた。
 地獄の地図には関係なく、死んだときもイベント化したいという変な人が増えてきたのだ。人生のフィナーレを美しく飾りたいというセレブな死者があちこちに出現している。
 そこに当て込んだのが、エピローグドレスのデザイナーと称する変なファッション屋さんである。死人に口なし、生き残った縁者が満足すれば、それでいいのだが、死者の気持ちを忖度して服選びをするというのも変な感じではある。。
 最後は最高に美しい自分でありたい、と成仏できない本人の意思により、死亡予定の半年も前から、一金150万円なりのハリウッド・ドレスなるフランス製リバーレースをふんだんに使ったイブニングの御注文もある。昔好きだったハリウッド映画のスターを夢見てエリザベス・テーラーと同じドレスを作って頂戴、というわが身しらずの無謀な客もありという。南国ハワイに憧れて、青い空とブーゲンビリアの花をあしらってね、というハワイ大好きの芸能人みたいな死亡予定の顧客もいる。
 突然にやってくる死に答えるために、20万7千3百60円のプレタポルテのエピローグ・ドレスも発売中とか。
 生きている人たちの洋服はすべてユニクロにもっていかれてしまったので、死装束に眼をつけたのはなかなかだが、今シーズンの死者にはシースルーが流行です、などと言われたら、生者の迷いのもっていき場がない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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