昨日から軽井沢駅のホールで、エキナカ写真塾が始まった。
カメラ付携帯から重量級の一眼レフまで、世間にはカメラがあふれている。一家に一台などは歴史的過去で、一家に三台、一家に五台とあって、恐らく空前のカメラ狂時代だというのが現実かもしれない。
こうした時に、軽井沢開発公社から要請され星野演出事務所の協力で始まったプロジェクトだ。週一で、カメラ基本の基本、ブログ写真のこつ、彼を撮る、彼女を撮る、四季と自然を写す、軽井沢を撮ろう、などの実用的テーマで、ピント、光、構図等、やや専門的なことも平易に学んでいこうという写真塾である。
若いカメラ女子から、シルバーのカメラ伯父さんまで幅広く集まり、定員を倍近くオーバーして嬉しい悲鳴を上げている。なかには数年前、旅立った御主人の残されたカメラで、ずっと写真を撮りづけているが…という高齢の婦人などもいて、ハーソナル・メディアとしての写真の役割をあらためて考えさせられた。
戦争中の報道写真一辺倒から、戦後の商業写真時代をへて、いまデジタルとともに生活写真、ファミリー・フォトの時代を迎えたともいえよう。
針孔写真を楽しみ、単玉パーレットから初めての35mmカメラを手にし、押し入れをつぶしてマイ・暗室をつくり、撮影から現像、引伸ばし、焼付けまで、赤いランプの下でフィルムと格闘した、戦時中のヒトリボッチを思い出した。たまの日曜日に、先輩から奥多摩撮影行を誘われ、嬉しくて毎日カメラを磨いてはその日を指折り数えていた。氷川の上流で、初めて先輩の彼女の水着姿にレンズを向けた時、意味もなくドキドキしてピンボケ写真を撮ってしまった過去もある。
エキナカで写真塾
コメント
2件のフィードバック
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エキナカ塾行きたかったです!
来年またあれば、お願いします。
最近、すこしクラシックなデザインのパンケーキレンズで写真を撮りたい思いが強く、フォクトレンダーのライカマウントモノにするか、マイクロフォーサイスモノにするか、決めかねています。
将来のカメラライフに迷いでるほど新製品が多く、なんだか分からなくなっています。
フォクトレンダーを選んだのは、信州の景色は信州のレンズが最適という、根も葉もない根拠からです! -
初めてコメントいたします。
エキナカ写真塾を受講させていただきました。
毎回カメラど素人の私にも、わかりやすい内容で、大変参考になりました。
ありがとうございました。
来週は、不在にしており、残念ながら出席できませんが、また今回の続編のような形で、企画していただけると嬉しく思います。
写真展も皆様の作品を見せていただくのを楽しみにしております。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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