イタイ人々。

by

in

 「イタイ」という形容詞が盛んにつかわれている。いい歳をしてお嫁サンバをうたう郷ひろみ(54歳)がイタイ。芸がないのに安っぽいイブニングをきて、これ見よがしにバストを見せびらかす叶姉妹がイタイ。ファースト・レディを勘ちがいした鳩山幸、オリンピックで金、結婚して金、代議士になって金とほざいた谷亮子、ねじったタキシード姿で海老蔵の披露宴にでてきた中尾彬、メモを見ながら如何にもアドリブのインタビュー風にみせる玉葱頭の黒柳徹子、みんなイタイ人たちだ。イタイというのは、本来自己感覚として使われていたのが、いつの間にか他人の形容詞となり、すこしく批評的な意味をこめて使われるようになった。自然体であれば、イタサはあまり感じないのだが、無理をして若さにこだわったり、ファッションにこだわったりするとどうしてもイタクなる。私生活の切り売りだけで生きている神田うのなども如何にものイタサだし、離婚後これといった話題もなく入浴剤のCMで谷間営業の藤原紀香、近頃驚いたのはシャル・ウイ・ダンス草刈民代の超イタイこと、バレエの形のヌード姿を披露している。「どう、こんなポーズでヌードを見せた写真はないでしょ。」との本人のコメント付だが、まずこの貧乳ではどなたも脱がないだろう。イタイことこの上ない。芸能人も政治家も自意識だけが肥大化して超イタイ街道まっしぐらだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ