イスラム国の身代金になった二人の日本人

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 イスラム国の黒いスポークスマンの両脇に日本人が土下座させられている。黒い男はイギリス訛りの白人、ジハーディ・ジョンと呼ばれるロンドン出身のラップミュージッシャンと身元は確定している。
 さて捕虜になった日本人が問題だ。メディアでは不法拘束されていると報じられているが、向こうは建国のための戦争をしているつもりなのだから、不法拘束の誹りは通用しない。飛んで火に入る日本人なのだ。
 ふたりともオレンジ色のマツコ服をきせられている。よもやマツコの着ている貫頭衣がイスラム国の制服でもあるまいに。
 右側に座らされているのが千葉市の湯川遥菜さん(42)、渡航目的は民間軍事会社を設立するための市場調査と聞いて呆れる。軍事会社という以上、武器の売買か外人部隊の派遣か、それともスパイ活動の結果の情報売買か、戦争のどさくさで成立する黒い商人だ。ジハード(聖戦)を信じているイスラム国を相手の軍事会社とは、万が一ビジネスが成立しても、そのあと砂漠の骨になるくらいの覚悟がなければできない商売だし、第一日本国で合法的にこのビジネスが通用することに驚く。ひらたくいえば火事場泥棒の類いだ。中東に広がっている宗教戦争は彼にとってスマホのゲーム位の安易なものだつたのか。戦争についてより真剣に勉強してから、軍事会社の立ち上げをかんがえるべきだつた。それとも六本木あたりにゴロゴロいる近頃のIT起業家気取りだったのか。
 もう一人左側に座らされているのは、仙台出身のフリージャーナリスト後藤健二さん(47)、一時メディアを賑わした戦場カメラマンなる人がいたが、この国の主たるメディアはいざ修羅場という前線からは手を引く。戦場に社員である記者やカメラマンを派遣して生命の危険にさらすのは、あまりの愚行だから。その分フリーランスの報道プロダクションを通じて、戦場カメラマンやらフリージャーナリストを使うのだ。敵味方入り乱れている戦場で、点の取材をしてもほとんど意味をなさない。イスラム国のいうように十字軍の昔から20世紀のイスラエル建国、アメリカの中東政策まで、鳥の眼でみることがもっとも必要になってくる。フリージャーナリストとは結局、戦場の落穂拾いでしかない。
 政府はこの二人の身代金2億ドルを支払うのか。
イスラム国の身代金になった二人の日本人


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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