イスラムの葬礼に…始めて出席

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 歳を重ねると色々なことに遭遇する。
 「…ママが亡くなったの、イスラム教徒だからお葬式はないの。もう山梨に埋めてきたし(この国では土葬は禁じられていが、在日のイスラム教徒のために、山梨と北海道に土葬のできる墓地が用意されている)、40日間は喪に服すの、でも毎週金曜日の夜は親族知人が集まってお祈りの集りがあるわ。」
 というわけで、生まれて始めてコーランを聞いた。
 部屋には祭壇はない。故人の好きだった花と白い花がぐるりと飾られた中に、故人の少女時代から、思春期のお洒落な表情、結婚の喜び、初めての赤ん坊を抱いて、家族との集合写真、旅の思い出、老境の笑顔…折々の小さな額縁に入れられて、飾られていた。葬儀社の手により、引き伸ばされることもなく、撮影したときのマンマが部屋じゅうあちこちにあって、故人の生きた証がいっぱいにつまっていた。
 さすがインド上流社会の人々らしく、黒のアバヤを身にまとい、黒のヒジャブ(薄いスカーフような布)で頭髪をかくした正装のお客さま方は、皆目鼻立ちのはっきりした美しい人々ばかり、車座になって導師のコーランをききながら、故人を偲んだ。
 とかく戒律の厳しさばかりが伝えられるコーランだが、散文詩の形式で、朗読の韻律による響きの美しさにはノックアウトされた。天台声明など足元にも及ばない美しさだった。イスラム教では、死のあと第二世界への甦りが信じられているので、泣き叫ぶことは禁止されている。「魂はみな死を体験しなければならない」という教えに帰依した集いだった。
 坊主もいなければ、葬儀社もいない、商業主義から程遠いさわやかな暖かい葬礼だった。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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