アールヌーボーとアールデコ、ふたつのMUSEUM

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 パリ16区のギマールの建築に心惹かれ、アベス駅の見事な造形を横目にパン屋へ通っていた身としては、いつかブリッセルのアールヌーボー建築と対面したいと思っていた。
 ミスター・トム・ウィルソンはなんの前触れもなく、2日目の午後これから美術館に行こうと、言い出し、連れていかれたのが 世界遺産になっている「オルタ・ミュージアム」だった。
 アールヌーボーの父をいわれてるヴィクトール・オルタの自宅兼アトリエ、そこにはヴィクトール・オルタのアール・ヌーボーに対する情熱と美意識がぎっしりとつまっていた。タイル、石のモザイク、ステンドグラス、家具、建物の内装、ドア、階段、外装まですべてにアールヌーボーという新しい芸術運動に対する妥協のない造型が躍っている。ガウディのカーサなどよりもはるかに緻密な繊細さがそこにあった。エリック・サティの使っていたピアノなども置かれ、ああ今ここに居る、アールヌーボー建築発祥の地なんだという感動に包まれた。
 3日目のブリュッセル、ミスター・トムは、もうひとつの美術館にいこう、という。
 昨日とは打って変わったアールデコ様式のミュージアムだった。「ダヴット・アリス・ヴァンビューレン・ミュージアム」
手仕事の頂点に登りつめたアールヌーボーに対して、明日からの量産工業時代を予見して、コンパスと定規による新しい芸術運動を起こした気迫にみなぎったアールデコ建築だった。
 昨日のオルタ・ミュージアムにしても今日のダヴット・アリス・ヴァンビューレン・ミュージアムにしもいずれも個人の邸宅なので、そんなに広くない。ゆっくりと建物訪問しながら、作家の世界観について美意識について考えることが出来る。ほどほどの大きさのなかに、美術史上の近代における大きな課題がある、とても好都合なふたつのミュージアムだった。
 ブラッセルはまだまだ奥深いと想わせられた今回の旅だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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