「紳士のスポーツ」と呼ばれているスポーツがいくつかある。ゴルフ、カーリング、馬術… 等など、しかしこうした紳士のスポーツも音を立てて崩れている。馬術は孤塁を守っているが、ゴルフにはその面影すらなくなった。
ワールドレディース・サロンパスカップ2017 茨城つくばみらい市小島新田まで、4万1千484人が押し掛けた。このゴルフクラブ始まって以来の混雑だつたと伝えられる。共に回った日本選手はギャラリーが多くてシアワセだつたけど、みんなプレイは見ないで、オッパイとオシリばかり見ていたみたいと、自嘲気味に笑っていた。
そのオッパイとオシリを見せつけたのが、韓国で「フェアウエイの女神」と呼ばれている、アン・シネ選手だった。1990年12月18日生まれ、5歳のときから父の経営するゴルフ場でクラブを振っていた。建国大学を卒業するころには、身長165㎝、バスト90㎝、ウェスト56㎝、ヒップ85センチ、Gカップの見事な女性になっていた。若干の整形はしたが、顔は美人だし脚線美もそなえたセクシークィーンとして、2008年韓国のゴルフ界に登場した。
人気と成績のバランスはなかなか取れず、いつも人気だけが先行して彼女を悩ませた。衣裳には本来競技に勝つための機能と、ファンに注目されるファッション性が必要だが、彼女が選ぶウェアはいつも機能よりファッションが優先していた。成績はいまいちだつたが、超ミニスカと美しい脚の人気は衰えなかった。
母は幼い時から「心を寄せてくれる人には心で返しなさい」とアン・シネに繰り返し繰り返しいつてきた。競技が終わった後、押し寄せるファンに対し、一人一人丁寧にサインと笑顔を返す神対応はそんなところからもきているのだろう。
観客は袋とじを見に行っているのではない。競技をみにいっている筈なのだ。
いつか悩殺パンチラより、スコアの注目される選手に育つことを祈っている。
アン・シネの神対応に
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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