久しぶりにアンサンブル軽井沢の定期公演をきいた。
チャンバー・オーケストラながら、町の資金協力もえずに演奏活動をつづけてきた、猪狩喜永、由美夫妻、大畑晃利さんらの努力には頭が下がる思いだ。
11年目の秋は、会場に軽井沢旧道にあるユニオン・チャーチをえらんだ。ユニオン・チャーチは、明治期に軽井沢にやってきた宣教師たちが、宗派別に教会をもつのは大変なので、合同しててつくった素朴な教会だ。300人近くはいるレトロな木の建物には、歴史の響きと自然のなごみが浸みついている。海を渡ってきた外人宣教師たちが、ここで礼拝をし、講演をし、音楽会を開いた過去と、目の前で演奏しているアンサンブル軽井沢の現実がだぶって、観客の心を呼び覚ます。
さて演奏曲目だが、フランス革命によつて音楽の眼が貴族から大衆に向けられた時代の、判りやすい楽しい曲のオンパレードだった。
1858年の歌劇「天国と地獄」、1874年の歌劇「こうもり」、1875年の歌劇「カルメン」などの抜粋が演奏された。色彩ゆたかな楽しさにみちた曲が次々と登場したので、いわゆるクラシックの演奏会につきまとう暗さがなく疲れないコンサートだった。リゾート軽井沢にふさわしい選曲だったともいえよう。
演奏家はいかにも信州の教養人らしく生真面目な表情で曲と対峙していたが、明るくはじけて演奏してもよかったのでは。 もっとも演奏の色彩は指揮者の棒によることなので、指揮者の解釈が真面目すぎたのかもしれない。
天国と地獄の解説では、文明堂カステラのCMが話題になっていたが、かって筆者のアシスタントが制作していた人形CMを思い出し、余韻はさらに演出に携わっていたパリのムーランにとんだ。1889年に誕生したモンマルトルのムーラン・ルージュでは、カンカンの音楽として、毎夜三回必ず演奏され、踊り子達ははスカートをたくし、足をさらし、奇声をあげ、カンカンのリズムにのって踊り狂っていた。
贔屓の踊り子のチラッと見えたガーターベルトは、パリの遊び人の勲章でもあった。
オッフェンバックからちょい悪パリジャンまで、カンカンには時空を超えた興奮剤がはいっているのだろう。
アンサンブル軽井沢を聴く
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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