Jean-Nouvel ジャン・ヌーヴェルという建築家がいる。
パリのアラブ世界研究所を設計して一躍世界の建築界から注目をあびた。光の反射や透過によって建築物の存在が消えてしまうような建築を多々つくっている。「消失する建築家」とよばれているが、カルチエ現代美術財団の美術館を設計したり、日本では築地の電通本社ビルを設計し、2001年の高松宮殿下記念世界文化賞をうけている。
この光の天才が設計したのが、セーヌ川畔に建っているアラブ文化のメッカ、美術館と資料館と研究ゼンターをひとつにしたアラブ世界研究所である。
イスラムのテロばかりを恐れていてもしかたのないこと。ある日の午後、アラブ世界研究所に足を運んだ。噂通り窓の不思議さがいちばんさきに眼に飛び込んできた。アルハンブラ宮殿の天井にみるようなアラベスク文様の巨大なガラス窓、光の強弱によってガラスに浮かんでいる文様が変化するという。レンズの原理で変わるというのだが、いまいち充分な理解にとぼしい。が、パリの真ん中にこれほど巨大なアラブ文化センターが存在する
というのが、いかにもふところの深いフランスらしいと感じた。
屋上からノートルダム寺院の後ろを望み、対岸のアパルトマンにレンズを向けて、アラブ世界研究所をあとにした。
どうせアラブという異界にきたのだからと、近所のモスクへ、ということになった。パリに住むイスラム教徒にとってもっとも聖なるモスクは想像を超えた立派さだった。一隅にアラブ・レストランがあった。まず腹ごしらえという訳で、タジン鍋のレンズ豆のなんとかいうものを食したが、あまり口にあわなかった。
食後ここまできてモスクへいかないのはばちあたりと、塀ずたいに巨大なモスクを訪ねたが、遠くからコーランの朗読する声が聞こえるのみで、玄関払いをくった。
外にはマシンガンを抱えた兵士が数人ずつ組を作って、モスクの周りを警備していた。
アラブ文化のいちにち
コメント
プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す