アラフィフ議員の路チュー騒動

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アラフィフ議員んの路チュー騒動
 中川郁子農水政務官が、六本木の路上でチュー、不実なくちずけをしたとメディアは騒いでいる。
 ノンベェの夫に長いこと仕え、長女をフジテレビの報道局へ、長男の就職も無事決まって、妻の役割はひととおり無事に終えた彼女にすれば、何がいけないの、といったところだろう。
 56歳で急死した中川昭一の妻の座は、想像するだに大変だったことだろう。聖心女子大をでて、三菱商事に努めた才媛にしてつとまった役割だったのだ。夫の急死後、金美齢さんの後押しで出馬を決意、昭一氏の遺影こそ抱かなかったが、日本人の心情に訴えて見事に当選、一期目にして異例の農水大臣政務官に抜擢された。
 もともとが御嬢さん出身の彼女には、まわりはあまり良く見えていなかった。
 六本木芋洗坂や、けやき坂で手をつなぎ、抱擁し、キスをするなどは、週刊誌やテレビの前で、裸を公開しているのと同じことなのだ、という事実を知らなかった。
 この国は、男と女のこととなると、突如儒教国家になりかわる。安倍総理は「おぞましい」と発言し、後援会は怒り心頭、幹事長は「言語同断」と不快感を示した。
 しかし中川郁子議員の所属する自民党二階派は、もともと肉食系派閥として名高い。
 かの片山さつき参議院議員、キャバクラ支出の鶴保庸介参院議員、女子アナと一緒になる小倉将信衆院議員、さらにミス日本の金子恵美衆院議員とお相手の宮崎謙介議員、その元妻の加藤鮎子衆院議員とみな二階派をささえて百花繚乱なのだ。若手の人気派閥二階派の環境に流され、つい路チューに走った新人議員。
 要はしっかりと農政を改革してくだされば、路チューでも、部屋チューでも、どうぞご自由に。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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