アパ・ホテルの実態とこころざし

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 74.025室を有し、日本有数のホテル・チェーンとなったアパ・ホテルの実態は、なかなかに興味深い。
 社長元谷芙美子のなんとも恥ずかし気のない写真を堂々と飾ったイメージ戦略は、もう卒業してもいい時期になった。どんな場所でもアパホテルの候補地になりうるという点で、既存のホテル業界ではまったく考えることができなかった横紙破りのパワーがある。
 みずからGTRを運転して飛び回る代表元谷外志雄は、すべての物件は俺が見て決める、すべてのリスクは俺が取る、と豪語して利益率33パーセントのホテル・ネットを完成させた。
 ホテル候補地は、駅に近ければ、細長くともL字形でも十字形でも、どんな地形でも対応でき、三等地を一等地に化けさせるという。見たら即決しキャッシュで払う。契約書をかわし、のち銀行に振込むなどというまどろっこしいことはやらない。現地で即決しその場から☎をかけ、本社の設計部門にボリューム設計をやらせる。帰社と同時に新しいアパホテルは起動する、
 堤義明がヘリコプターから現地視察をしてのち会議を重ねて、ようやく実現したプリンスホテルとは根本的にことなる。スピードこそこの仕事の最重要案件といっている。
 元谷外志雄代表は日本の右翼の代表的スポンサーでもある。
 私塾勝兵塾を主催し、自虐史観から脱却し誇れる日本再興のための若者を育てている。さらにアパ日本再興財団では、南京大虐殺を否定した「本当の日本の歴史」本をアパの全客室に置き、中国の旅行代理店から猛烈な抗議をうけても、断固として受け付けなかった。
 戦後占領軍の命令により、すべてのホテルに聖書を置くことを義務とされた故事にならい、自前のホテルに故郷礼賛本を置いてどこが悪いという壮士、すなわちアパ代表元谷外志雄なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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