わが心のショパン

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 高校時代試験の前日に必ず聴いた曲があった。ショパンの英雄ポロネーズ…当時はSPだったので、気分の高揚するギャロップの部分で蓄音機を止め、レコードを裏返さなければならない。それでも聴き終わるとカロリー100倍、明日の試験への不安は何処かへ飛んでいった。ショパンは祖国ポーランドへの想いをこの曲に託していた。が後年になって、ショパンの人生を知るに及び、ジョルジュ・サンドとの9年の恋がたちはだかった。ミュッセと恋し、パジェロを愛し、リストの体に狂った男装の女流作家ジョルジュ・サンドは、9年の間ショバンを独占し自分の別荘に囲った。モンマルトルのパリロマン主義博物館にはショパンの左手に寄り添うサンドの右手が展示され、ショパン・マニュアの嫉妬を呼んでいる。享楽の園と呼ばれたモンソー公園にはピアノを演奏するショパンの等身大の石造があるが、心なきファンの悪戯がきで顔は汚され、陶酔してきくサンドにはヘアが書き込まれていた。サンドと破局して2年後ショパンはバンドーム広場12番地で結核をえて死を迎える。遺言によりモーツアルトのレクイエムで葬儀が行われた。ペール・ラシェーズのショパンの墓はふとったプリント柄のおばさんツアーが絶えない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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