決してグランプリにはならなかったが、全国300近いゆるキャラのなかで、常に人気10位以内に入っていた。人畜無害の可愛いだけが取柄のゆるキャラのなかで、大人のゆとりを感じさせてくれたのは、「やななさん」だけだった。現住所は岐阜市柳ケ瀬、柳ケ瀬ブルースや夜の柳ケ瀬に唄われたあの柳ケ瀬だ。
やななさんの正しい名前は「やなが・せいこ」。彼女は人間のながせ君に恋をしたため、西の魔女によつてゆるキャラにされ、虹の海に飛ばされてしまった。恋心を断ち切れないやななさんは、ながせ君に逢うために柳ケ瀬めざして頑張っているという物語があった。
かって柳ケ瀬は、東の吉原・西の雄琴とともに日本三大ソープランドと称され、いまでも64のソープ、1500名の泡姫を抱えている。羞恥心いっぱいのオネェ様から、感じすぎる人妻までオールスターキャストの歓楽街、隣接する柳ケ瀬商店街もいまでは高島屋とドンキホーテ位しかなく、不況に喘いでいる。
そこで立ち上がった地元若手のアイディアの結晶が、やななさんだった。作り物はアタマに被った30センチ四方のダンボール箱のみ、地色を黄色にぬり、それに目鼻と柳ケ瀬のクラウンを描いて、首から下はときにTシャツだったり、ブラだったり、いかにものイブニングだったりと、ほどほどに色っぽいリアルクローズだった。
クマモンを始め、おおかたのご当地キャラがカワイイを追いかけている中で、ただ一人柳ケ瀬の歴史と人間の業を背負ったゆるキャラだった。
そのやななさんが引退することになった。多分ペットと子供にしか眼のいかないママさん達に虐められての引退と想像するが、こうした大人のゆるキャラを受け入れられてこそ成熟した街といえるのではなかろうか。思考停止状態のカワイイ価値観から何時になったら卒業できるのだろう。
ゆるキャラ・やななさん追悼
コメント
1件のフィードバック
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やななさんの引退の理由!
ブログには、活動のピークで引退することが、
一番柳ケ瀬のためになるって考えたんや。
とありました!が、ブログを読めば読むほど、カバーストーリー
を感じます。
映画化が決まっていれば、舞台挨拶が最高の引退発表と思えますが、
役場的に年度末引退とは、妙な物悲しさを感じます。
文化の発展を拒む(変化を拒む?)マイナスの力を感じます。
多分、怒らせてはいけない人を怒らせた的な事件があったと、
推測されます。
世渡りの難しさを感じる一幕でした……
やななからのメッセージ
http://yanana87.blog49.fc2.com/blog-entry-745.html
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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