またしても小池百合子のジコチュウ

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 小池百合子都知事がまたぞろ駄々をこねている。築地市場をいじり倒し、オリンピック道路を不可能にし、豊洲市場の開場を遅らせただけではまだご不満のようだ。 決定の中心に小池百合子がいないことが、不満の主たる原因だろう。
 IOC国際オリンピック委員会とIOC技術調整委員会はひどいショックを受けたと発表している。
 9月末から10月にかけて開催された中東ドーハに於ける世界陸上選手権のマラソンについてだ。高温多湿はあらかじめわかっていたが、これほど棄権者が続出するとはおもってもいなかった。ドーハと東京の気象条件は近年ほとんどかわりがない。これでは選手にとってなんのオリンピックかわからない。過酷な気象条件をおらかじめ避け、より選手にとってのよき環境を準備するのがIOCの責務とばかり、急遽IOC理事会と大会組織委員会はマラソン並びに競歩の札幌開催を決めた、というのだ。
 すでに札幌では毎年北海道マラソンを実施しているので、運営のノウハウと地政学上の知見もあり、IOCとしても安心して選択できたというのだ。
 小池百合子はやけくそで、そんなに凉しいところが良ければ北方領土でやったらいいなどと、発言しているが、アスリート第一で考えたらどうみても札幌開催のIOC側に分があると思われる。
 この際へんな意地をはらずに、札幌にゆずることで小池百合子も少しは大人になったと受け取られた方がいいのではないか。
 オリンピックを頂点とした世界のスポーツ貴族の力をみくびったらいけない。世界のスポーツを支配しているのは、実はひとにぎりのスポーツ貴族だ。
 数年前、フランス検察庁が花火を揚げて、オリンピックのスキャンダル撲滅を掲げ調査を開始したその結果をみればわかる。遠いアジアの日本のIOC竹田会長が責任を負ってやめたくらいで、暗躍した代理店もIOC役員にも検察の手は届かなかった。それこそがオリンピックの権力構造なのだ。
 小池百合子は、築地や豊洲とはことなる巨大なオリンピック構造をもっと勉強すべきである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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