ふたりの大泥棒

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 「大泥棒ふたり」といえば、まず挙がるのが「石川五右衛門」秀吉の千鳥の香炉を狙ったとか、命を狙ったとか、話は色々だが「石川の浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と名科白を残して釜茹でになったというあたりが、人気一番の理由か。 もう一人の大泥棒「柿木金助」は名古屋城の金鯱を盗むというスケールの大きい泥棒だが名科白に恵まれない、という訳で人気いまいち。ところが国立劇場初春の菊五郎劇団による「旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)」これがなかなかの舞台だった。菊五郎さんが大凧に乗って名古屋城の黄金の鯱に乗り移る宙乗りがまず圧巻。大黒戎太夫の御師宿における金鯱観世音の祈祷が、どうした訳か近頃評判の中国聾話団の千手観音になっての馬鹿馬鹿しい面白さ。木曽川氾濫のなかで雄雄しくも激しく金鯱と戦う菊之助本水の場。息もつかせず次から次へと見世場をつくって、天明期の並木五瓶の面白さを満喫させてくれた。毎年国立劇場に於ける菊五郎劇団の復活通し狂言は、いずれも理屈ぬきに楽しい。スーパーカブキにあった猿之助の演説がないので、観客はとても素直に芝居見物が楽しめる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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