ひたすらの守礼の踊り

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 アメリカ占領軍による沖縄返還前から、東京でひたすら琉球の踊りを守ってきたグループがある。
1404年琉球王国踊奉行による宮廷舞踊の流れをくむ冠船流川田舞踊団だ。家元川田禮子さんを中心に姉妹一族の努力と情熱によって、戦後半世紀以上、舞台をつくりつづけてきた。
 琉球の宮廷に於いて、日本の能楽と同じサイズの舞台で演じられてきた琉舞は、能の仕舞などと共通の表現も多く、日本舞踊では唯一京舞井上流の伝統的表現に同じ形が見られる。御所の御殿舞から発し、能楽の影響をうけて今日ある京舞と共通点のある冠船流には、ひとことでは言尽くせないキーが隠されているような気がする。 中国・琉球・大和の関係を芸能面から読み解くことが可能になる、文化流通のキーワードがあきらかに存在している。
 明治の琉球処分以後、庶民の生活に材を取った「雑踊り」なども、川田禮子さんの手で再構成され、ショウ・アップされてみやらび踊りとして、紹介されている。
 スピード、安室奈美恵、仲間由紀恵、知花くらら、具志堅用高、MAXと数え上げればきりのない程の芸能王国沖縄だが、硫舞などももっとメディアが取り上げて、関心を持つべきだろう。
 この日、上演された喜舞踊・収納奉行は、琉球オペレッタともいうべき表現様式で、とても楽しかった。
 租税・年貢を定めるお役人が島に来ることになったので、みんなでもてなし、接待しなければならない。袖の下、上納品、とくに女たちは頑張ってお役人に気に入られるよう、見染められれば大成功、と物語は進むが、このアッケラカンとしたエネルギーはさすが沖縄、ヨーロッパ製のオペレッタをはるかに超えている。
 六音階、四拍子がえんえんと続く中の、三線と打楽器の響きが耳から離れない。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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