はだか芸にみるテレビの落日

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はだか芸にみるテレビの落日 
「一発屋」という言い方が使われるようになったのは、いつ頃からだろう。
 昔からあったのかもしれないが、一般人が使うようになったのは、地上波テレビに芸人が多数登場するようになってからだ。一発芸で登場した芸人が、アッという間に飽きられて忘れられていく、そんな芸人たちを指して「一発屋」といった。
 「一発芸」でもっとも不愉快なのは「はだか芸」だ。
 とにかく明るい安村、海パン一丁で登場するや、「世の中には動きや角度で穿いているのに、全裸に見えるポーズがあります」相撲の立ち合い、野球のバッティング、ほふく前進の自衛隊、膝たちで放水する消防隊員、等々、海パンが隠れ、あたかも全裸に見えた途端、仁王立ちとなり自分の股間を指さしながら「安心してください。穿いてますよ!」と言い放つ。いかにも観客が安村の股間に興味を持っていたかの如くを前提にしたイヤな落ちだった。簡単にいえば、失礼極まりない下品な芸だった。
 まもなく彼は文春砲にやられた。”とにかく明るい不倫現場、安村がパンツを脱いだ” パンツ一枚で摑んだ成功を、パンツ一枚で台無しにした。安村にはパンツのブーメランがもどってきたのだ。
 最近ではアキラ100%。
 全裸で登場し、手にしたお盆で股間を隠して笑いをとる、時にお盆をくるりと回したり、左右の手でもちかえる動作で股間を隠し続ける。
 昔のストリップが薄物で陰部を隠し続け、最後に一瞬見せて終わる芸とほぼ同じ展開だが、さいごまで見せないというテレビ芸だ。 いずれにしても不愉快な芸にちがいない。
 キャスティングしたテレビ局のプロデューサーは、「局部の露出はご法度」というテレビのタブーに挑戦したなどと、たわごとをいっているが、ただの品性下劣な趣味にすぎない。
 こんな芸にたまたま出会うと、地上波の落日はここまできたかと、残念な気分になる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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