芸能人ほど弱いものはない。ある日仕事がなくなれば、即座に路頭に迷う。
ましてや病気でも患えば、とんでもないことになる。大手プロダクションに所属していれば、保険にはいっているが、弱小プロダクションでは保険など夢のまた夢なのだ。
収入はなくなる保険もない、突然に癌になった。途方にくれた芸能人を何人か知っている。
そうした現実につけこんだ祈祷師のひとりが「なべおさみ」である。
「病巣に存在している悪いものを、一度私の体に移動させて、それを私が滅してしまう」彼の自書本に書かれていることだ。気を送るとか、施術、などと称して、怪しげな民間療法を施す。
王貞治さんを救ったとか、田岡組組長の倅をすくったとか、政治家の名前などを武器にたくみに自己宣伝をする。小林麻央を引っ張り込み、結果治療遅れで死なしてしまったことなど、全く反省せず「私の治療は50パーセントです。半分は天が許してくれないのです」なかなか立派な言訳が用意されている。
なべおさみは今競泳の池江璃花子にからんでいる。折角19歳の天才少女が闘病をつづけているのに、途中から奇妙な民間療法に憑りつかれては、と心配に襲われる。
なべおさみ等という三流芸能人のオカルト療法は、追放しなければならない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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