なでしこ ナラヌ なでしこの世界一。

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 日本中が湧き立っている。男子が成しえなかった世界一というタイトルを女子がなしえたからだ。「感動しました」そこまではいいのだが、いい年の大人が「元気を貰った」というのは、いただけない。
 それに「なでしこジャパン」という呼称にも抵抗がある。花の名前の入ったはいった女性に求められるものは、その花のもっているイメージであるし、美しさ、可憐さ、華やかさなどで、ナデシコの花を知っていてつけたとは到底思えない。「花子さーん」と声をかけたら、シワシワのお婆ちゃんが出てきた、という笑い話があるが、やはり名前とイメージというのは重要だと云う気がする。かって心ある親たちは、生まれた娘に花の名前は避けたものだ。どんな娘に育つかわからないのに、勝手に花の名前などつけたら、一生娘は言い訳をしながら生きていかなければならないかもしれない。親の愛情はそうした深いところにあった。
 MVPに輝いた澤選手にしても、恐らく自分はナデシコのたおやかな美しさを持った人間とは思っていないだろうし、なでしこジャパンの主将澤穂希と呼ばれるたびに、どこかで名前と実在の谷間で、自分につっこみつづけなければならない辛さがあるだろう。
 類いまれなキック力、シュート力、ヘディング力をもった11人のスーパー女子は、物質文明と無縁なところで汗しているからこその世界一だろう。海堀という名のゴールキーパーにしても、監督はあいつにはハングリー精神があると褒めていたが、やはり日本人は農耕民族だということを誇示していた。物質文明にずっぽりつかった選手達では絶対になしえなかった世界一だ。足が短くて、オシャレのセンスにとぼしい女子だったからこそ、精神を集中して完成しえた偉業だったのではなかろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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