なぜ日本の女子は強いか。

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 東洋の魔女といわれて、はや半世紀以上たっている。 鬼の大松監督により徹底的な回転レシーブの一本槍により、守りに徹した女子バレーが世界を制した。
 以来スポーツの話題は、つねに女子が独占してきたような気がする。女子レスリングでは勝って当たり前。柔道もいつもYAWARAちゃんばかり、ゴルフでも宮里藍がアメリカ・ツアーが7勝目をあげ、フィギュアでも荒川静香につぎ、浅田真央、安藤美姫が話題を独占、伊達公子の復活、マラソンでも次の世界女王は誰といった処だし、突然「なでしこジャパン」が登場してきた。
 男子はあらかた茶髪にこり、金勘定はたくみだが、レベルはいつも二流どころといった印象が強い。サッカー選手の芸能人気取りなど、日本総白痴化のさきがけにも見え我慢できない。
 が女子スポーツ選手をそだてるには、さいごはセックス管理をどうするかが、最重要だといわれている。女子マラソンでは体重を軽くするため体脂肪を限界まで落とす。10%を切るときると生理不順から情緒不安定となるが、最終的には生理が止まる5%にしないと世界にかてない。洗脳しながら朝の便までチエツクした、小出監督とQちゃんとの不適切な関係は必要条件であった。 安藤美姫とモロゾフ・コーチも、半同棲状態でカラダをいち早く大人の女にし、じつくりと芸術点中心の選手につくりなおした。スピンやジャンプで世界を制覇した浅田真央がまったく振るわなくなったのは、処女から大人への切り替えが失敗したからとの説がもっぱらきこえてくる。取り戻すには、一刻もはやくセックス管理のできるコーチを獲得することしかない。
 肉食系の女子が増えた今、男子はもっぱら女子の練習相手をつとめ、セツクスの草刈り場となり、男子自身のアイデンティティを喪失しかけている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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