軽井沢ラブソング・アウォードの第八回グランプリ・コンサートが無事終わった。企画段階から数えると10年の歳月がたっている。いまでは無人の駅になってしまった信濃追分駅での、地野菜の売り上げを原資になにか音楽イベントがしたいのだが、と持ち込まれ、あれこれと考えた末の企画だった。はたして楽曲があつまるかどうか不安の船出だつたが、軽井沢を背景に公募したラブソングは大きな反響を呼び、この10年で通算4000曲に及ぶラブソングが全国から軽井沢にあつまった。
初めは演歌しか楽しめなかったチャーター・メンバーが、最近ではラップからヒップホツプまでいろいろとウンチクを語るようになった。第一次審査は実行委員会全員で、第二次は軽井沢町民100人で、そしてファイナルは東京の専門家とメディア関係者によって、という審査システムも応募者から信頼された。かくて8人の100万円賞金獲得者が生まれた。
毎年課題テーマをだしているが、ラブソングと聞いただけで無条件にバラード曲を作ってくる人が圧倒的に多い。バラードを突き抜けたバラードなら大歓迎だが、なかなかそうもいかない。そこで2009年に思い切って「愛おどる」をテーマにしたところ、優れたラップがグランプリを獲得、2011年はさらにその路線を進め「バラードはいらない」というテーマを設定した。本当ですか、バラードは応募できませんか、と半信半疑の電話などで事務局は繁多を極めたようだが、ファイナル12曲は見事にヒップホツプやら、ロックやら、マーチやら、ラップやらと楽しいラブソングが揃い、プロ審査員からも随分レベルが上がった、との感想をいただいた。
音楽でも演劇でも、最近とくにクリエイティブのオタクカが進み作家の創造空間がどんどん小さくなっている様な気がしてならない。よりダイナミツクな、カロリーに溢れたラブソングがいつか生まれることを信じて「だから感傷的なバラードはいらない」とぼやいている。
だからバラードはいらない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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