徴兵制をひかなかった報いがマスコミまでやってきた。仕事に対するローヤリティがまったくない。御身大切ミーイズムが骨のズイまで浸蝕している。自衛隊の献身的努力が報じられ、消防士の果敢な行動がメディアに登場する一方、そのニュースを発信するテレビ局の心臓部が腐りかかっているという現実だ。
日本テレビ報道局社会部デスクの木下黄太…彼は大震災発生直後から「原発事故の危険が東京に迫った」と称し、3月19日一方的に職場放棄し、西日本に避難してしまった。報道の意味がまったくわかっていない。震災発生以来、彼は社会部デスクとして記者を現場に行かせる訳にはいかない。危険を判っていて何故取材を強行するかと、社会部長にくってかかっていたと伝えられている。原発取材では80キロ圏外まで記者を下げろと強硬に主張していた。
弾丸の飛び交う戦争であろうが、危険な災害地であろうが、体を張って取材するのがジャーナリズムの使命だと教えられてきたが、そうした職業意識はいまや全くメルトダウンし、なさけない前線になってしまったようだ。流行のモンスター・ピアレンツが我が子大事で、自ら転んで擦り剥いても先生のせいとばかりに怒鳴り込むのと裏表のような気がする。
この国の戦場カメラマンは後方でバラェティにこっているが、ロバート・キャパのごとく、弾の下をくぐってレンズをむける精神はなくなってしまった。デスクという働き盛りのスタッフが敵前逃亡するようでは、シャーナリズムの風上にもおけない。安全映像だけが垂れ流され、批評映像皆無のテレビでは、インターネット以下マンガにも勝てない悲しいメディアとなりさがった。画面にはがんばろうとか、元気を届けようとか、いつもいっしょ、とかわけのわからないコピーが氾濫しているが、報道がこのていたらくでは、言葉もない。
ただいま「逃亡中」デスク。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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