”踊る阿呆に見る阿呆 どうせ阿呆なら 踊らにゃ損々”
この歌詞は阿波踊りの唄い出しだが、みんなで踊るというのは、神様のまえと決まっていた。収穫を報告したり、豊漁を祝ったり、正業への感謝をこめて、神様のまえで皆で踊った。盆踊りも帰って来た仏を慰め、仏とともに明日の暮らしを祈る、重要な祭式だった。
最近はそこいら中に踊衆が拡散して、テレビなどは踊りだらけとなっている。子供も娘たちも、お兄さんもサラリーマンも、うっかりすると末期高齢者まで踊っている。
そんなに「オドリタイカ」と反問したくなる、なにも考えないで踊っていることは確かだ。
原因といえば数年前に、文科省の官僚が何も考えずロックやヒップホップの踊りをカリキュラムにいれたことだ。学校で強制的に踊っているのだから、商売人が見逃すはずもない。たちまち電通や博報堂の宣伝プロデューサーや営業マンが尻馬に乗った。
殺虫剤は郷ひろみを立てて大げさに踊った。車ではつなぎの少女たちが楽しそうに踊る。栄養剤や化粧品もそれぞれに踊って忙しい。美容整形まで院長をたてて踊っているのには驚いた。
引越しやは少し気が引けたかダンボールの箱が踊っていた。大便直後の女の子たちが、私のすぐ後、入っちゃいやいや、と踊っていたのには、恥ずかしさを超えて感動すら覚えた。
近所のスーパーもJAバンクも踊っている。地味であまり人気のないショッピング・センターでは、突如お婆さんが踊りだした。……怖い。
こんなに踊るコマーシャルだらけの世の中にして、ほくそ笑んでいるのは、文科省と代理店だろう。
神とともにあったにほんの踊りは確実に滅んでいく。
そんなに踊って嬉しいですか?
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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