それでも女子高?

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 渋谷駅4分にいま人気の女子高があると聞いた。
 渋谷といえば、青山学院がまず思い浮かぶ。すぐ側に実践もあった。
 そんな駅の近くにキャンパスが確保できるような土地はあったかなぁと、半信半疑でその学校の住所をたどってみたら、なんと学校の所在地は小さな貸ビルだった。一世を風靡した即席英語の駅前留学と変わらない。
 校庭に集まる。校庭で校長のはなしを聞く。校庭でスポーツする。校庭で文化祭もしたし、校庭はコミュニティーの場というかっての常識はここでは通用しない。なにしろ校庭がないのだから。
 新しい学びのかたちは、渋谷の雑踏らしい。生徒のニーズに即したシステムで、画一化から脱して個性化をめざしているという。学校案内には茶髪・ガングロなんでもありの女子が、団体で写っている。
 当校は外見、考え方、行動に偏見をもっていません。服装、髪型に校則はありません。ということでセンター街でべたりと座り込んでスマホをやつているような女子が、入学案内を飾っている。
 授業開始は通勤ラッシュを避けて、午前10時30分からと聞いて、勉強嫌い、朝寝坊、適応障害にはもってこいの女子高と理解した。
 さらにカリキュラムを開いてびつくりした。ファッション・コース、ネールアート・コース、ヘアメーク・コース、ダンス・コースとある。女子高等部というよりは、各種学校なのだ。基本的な教養を身につけさせる高校教育ではまったくない。文科省はいつからこんなものを学校として認可するようになつたのか、世の不思議だ。
 人間形成に必要なふれあいの場として機能する学校環境は何処にもない。学生寮をクリツクしておぼろげながらわかってきた。ドミール…、ドミトリー…、ドーミー…ほか都内に60棟の学生寮があるという。入寮費、寮費、年間160万円近くかかる。学費は別。まるで不動産業のヘルプで学校があるようにもみえる。
 女子高等部、専門部、大学部を擁したこのビジネス・モデル、果たしていつまでつづくのか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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