そとに出られない「アンネ・フランクの庭」

by

in

そとに出られない「アンネ・フランクの庭」
 パリの日曜日はお休みの店が多い。
 ホテルで過ごすか、それとも郊外にドライブ、といっても旅行者にはそれもかなわない。
 そんな時、重宝なのはルーブルの東北、地下鉄サンポールの界隈、俗にマレ地区といわれている辺り。
ある本にはかってのフランス貴族の豪邸が残る、と書かれ、またある本にはあまり風紀は良くないと書かれているが、日曜日に開けている店が多い地区なのだ。ということはこの地域には圧倒的にユダヤ人が多い。
 ユダヤ人は土曜日が安息日なので、日曜日は働くのだ。
 ナチ占領下では、79500人のユダヤ人が強制収容所に連れ去られ、生きてかえってきたのは僅か2500人だったと伝えられている。
 メインのロジェ通りにはファラフェルと呼ばれるコロッケの店がそこここにある。ヒヨコ豆のコロッケなど実に美味しい。
 16世紀の貴族の館は、カルナヴァレ博物館にそのまま残っている。
 カルナヴァレでは、マリーアントワネツトの化粧台から、パリ最古のキャバレー・シャノアールの看板までパリの歴史をそのままに見ることができる。
 ユダヤ人街の象徴といえば、「アンネ・フランクの庭」と名付けられた素敵な公園もある。
 第二次世界大戦下、ナチのユダヤ人狩りから逃れるため、何か月もアパートの屋根裏に潜んでいた少女アンネ・フランクが世界中で話題になった。
 ベストセラーになったアンネの日記は爆発的に売れ、映画や芝居にもなった。そのアンネの若き日の苦しみを見事に公園にしたのが、このマレにあるアンネ・フランクの庭なのだ。
 公園のメインの回廊は鳥籠のように透けて見えるが外には出られない。アンネの悲しみがそのまま網目のデザインになっている。公園の施設はすべて鳥籠になっている。
 公園はいつも静かで人の気配もなく、平和の祈りにも似た空気をただよわせている。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ