そうだ! モネの庭、ジヴェルニーに行って見よう

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 ある日、突然に思い立った。
 キモノを着た妻カミーユをモデルに、ジャポニスムの代表的作品「ラ・ジャポネーズ」の赤い打掛の印象が強く残っていたせいかもしれない。
 ジィヴルニーと言えば、「睡蓮の池」ときまっているので、すこしばかり路線の異なる「サンラザール駅」のモネの連作を思いつつ、駅のホームを辿った。アメリカ・フォグ美術館で初めて眼にした時、連作サンラザール駅の機関車の煙が、無性に嬉しかった。今ではすべてが電気に変わってしまったので、モネが胸躍らせて描いた機関車の煙はないが、サンラザールの駅舎は150年前そのままなので充分に1877年が想像できる。
 ベルノンまでのんびりと45分、そしてジヴェルニーまでは10分で着いてしまう。パリに生まれた彼が、この小さな田舎の寒村に落ち着いたのは43歳の時だったが、なによりもセーヌの支流エプト川が側を流れていた。睡蓮が主役の「水の庭」も、色とりどりの「花の庭」も、ごく当たり前に生み出されたことだろうと想像できる。
 「ポプラ並木」の連作も、「畑のつみ藁」も、いまだにジヴェルニーの周りに残っている。特に「睡蓮の池と日本的な橋」については、作品そのままに手入れされていた。
 偏屈だったモネは客の来ることを嫌い、作品の売り渡しもすべて弟を通してやっていたので、ゴーギャンなどは「自分も見習いたい」とぼやき、商売上手のモネと言われていたが、その家風はそのままにいまでも池の睡蓮の株分けなどでモネ財団はせっせと稼いでいる。
 日本でも倉敷の大原美術館、高知県北川村のモネの庭、軽井沢平松礼二のアトリエに、ジヴェルニーのモネの池の睡蓮が株分けされているが、モネの池のそっくりさんがそれぞれに客を呼んでいる。
 それにしても、日本人の印象派好みは恐ろしい程だ。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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