そうだ 金澤へ行こう!

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そうだ 金澤へ行こう!
 北陸新幹線が通って、長野と軽井沢間の客が80パーセント増えたと言って喜んでいるが、むなしい喜び方だ。
 金澤にある文化が近かずいたことこそが、最大の喜びではないだろうか。長野や軽井沢には存在しない歴史の文化が金澤にはある。長野の人は善光寺があると主張するかもしれないが、仏教遺産にしても全く奥行が違う。より重層的に存在している。
 明治以降のキリスト教文化やヴォーリズの軽井沢では、歯がたたない。
 金沢駅を降りると先ず壮大な鼓門に圧倒される。ガラスのもてなしドームの現代性と、加賀宝生の鼓を模したダイナミックな造形に驚かされる。能も謡も金澤人の日常芸能なのだ。
 北陸新幹線が通るので駅舎を新しく、といって歳月を費やしてきた途中駅の人々にはなにもなかった。駅ビルでのコアキナイしか考えなかったことを反省すべきだろう。
 利家を祀った尾山神社の神門もかって北前船の灯台だったといわれれば、加賀の叡智に驚かされる。
 仏教哲学の第一人者、鈴木大拙館を訪ねれば、展示、学習、思索の空間が広がり、玄関、露地、水鏡の庭に囲まれる。
 泉鏡花の過ごした暗がり坂をたどれば、主計町茶屋街の色香に遭遇する。
 ひがしの廓も、にしの廓も、いち早く茶屋街として、市民に親しめるように演出したのも金澤の知恵だ。
 加賀友禅、金箔、九谷焼と三拍子揃ったうえに、京都の料理屋の子弟が行儀見習いにいく高級料亭のいくつか、庶民のための台所近江町市場と、食の贅沢も充分満足させてくれる。
 京都の公家と江戸の武家にはさまれながら、じっと耐えて育てた金澤の文化が、いま華ひらいている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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