ウィンも、ルクソールも、シーザース・パレスも、一流ホテルの玄関を入ると一階はほとんどカジノに埋め尽くされている。大劇場、中劇場は、大抵カジノの間を縫って奥の奥にある。20年位前までは、その途中にラウンジと呼ばれるややゆつたりとした空間があり、小さなステージがあった。
かなり著名なアーティストの演奏や、ときに大劇場のショーよりも評判の高い良質なダンス・ショーを上演していた。大ホールでは週給1000㌦から1500㌦の踊り子が、ラウンジの踊り子は500㌦から800㌦位で黙々と踊っていた。そうした踊り子のなかにキラリと輝く明日のスターがいた。
「お気に入りの子がいますか。」ウェイターのボスが耳元で囁やく。いつかスターを夢見て頑張っても生活が苦しいので、客の相手もしていたのだろう。
そんなラウンジ・ショウ専門の振付師にロン・ルイスという天才がいた。メガ・ショウは一切見ないでロン・ルイスのラウンジ・ショウだけを追っかけているマニアもいた。舞台装置を一切つかわず振付と照明だけで60分を見事にショーアップしていた。
あのラウンジがいつのまにかキノやスポーツ・ブックになつてしまつた。スポーツ・ブックではあらゆるスポーツ、プロ野球、フットボール、からテニス、ゴルフ、競輪、競馬、オートレース、はてはカレッジ・スポーツまで賭け事の対象になっている。松井も一郎も石川遼もみなギャンブルの駒になつている。何十というビィデオ・モニター、大型スクリーン、さらにいくつもの点数表示板がギャンブラーたちの一喜一憂を誘う。オンライン・カジノとかネット・ギャンブルといわれていかにも現代的だが、スポーツの堕落以外のなにものでもない。
ロン・ルイスの創るラウンジ・ショーには、人間の汗と希望が溢れていた。
すべてのスポーツは博打の種。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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