仁義も礼儀もあるものか、自分が目立てばすべてよし。
とする近頃の風潮が、あからさまに見えたのが恒例紅白歌合戦だった。
25歳のガキタレント大島優子は、紅白の功労者として50回のステージを務めてきた北島三郎を見事にコケした。長年紅白のトリを務めてきたさぶちゃんが、今回を限りに引退して、後進に道をゆずると、あらかじめ発表され、判っていたにもかかわらず、私はこれでAKBを卒業します、と記者の眼をさらった。
本人にとっては、フン演歌なんか何よ、の気分かもしれないが、同じ芸能界のなかで働いている以上、大先輩に対する礼儀ぐらいは心得て当然だろう。 これはAKBを操っている秋元康の責任でもあるし、視聴率さえとれればなんでもありの近頃のNHKの体質でもある。
芸能評論家のH氏も、北島さんは内心、ハラワタがにえくり返っていると思います、と発言しているが、温厚なさぶちゃん故、ここで怒ったら男がすたると我慢したであろう、ことは容易に想像できる。
水森かおりのあの野暮としかいえない桂由美の巨大衣装にしても、誰でもが小林幸子を連想して、嘲笑したことは充分想像できる。
あまりの仁義なき争いは、視聴者をテレビの前からますます減らすのではないだろうか。
さぶちゃんをコケにした大島優子
コメント
1件のフィードバック
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素人的に察するに、AKBをコケにした、GMTに対する抵抗なのかもしれないと感じました。
とは言え、長幼の序をわきまえない者を野放しにするほど、芸能界は甘くないと、今後の展開を見守って行きます。
いっその事、来年はAKB抜きの紅白で視聴率50%越えを狙って欲しいものです。ついでにジャニーズの抜きにした方が、視聴者を絞り込めるので、達成率は上がるかもしれません!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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