初めてのフランス、ムーラン・ルージュへ行く前、筆者のなかのパリは、ラウル・デュフィだった。
デュフィの描くフランスこそが、フランスであると夢想していた。
戦後の荒廃した東京にいて、バラ色の人生、黄色いコンソール、食道楽など、デュフィの描くパリは信じられないほどに美しく、色彩に富んでいた。 リアルなパリをとびこえたデュフィのパリは、フランス人の美意識がそうさせたとしか思えなかった。
数年前、はじめて彼の生地ノルマンディのル・アーヴルを尋ねた。小さな港町には季節外れのヨットが整然と繋がれ、デュフィの青のオーケストラが見えた。ノルマンディの風にのって音楽がきこえた。
いまモンマルトルの美術館でデュフィ展が開かれている。こんなデュフィ見たことない、と題されている。
近所のコルトー街にささやかなアトリエを構えて、日々パリを描いていたデュフィはさぞ満足していることだろう。目の前の葡萄畑を見ながら、バッハの音楽に安らいでいる彼の姿が偲ばれる。
オミクロン株が現われなければ、すぐにでも飛んで行きたいが、かえすがえすも憎いのはコロナの犯人である。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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