こぶしの花咲く高原

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 我が家から町のほうを見渡せば、春を待ちかねるように「辛夷」の花がぽつんぽつんと咲いている。
 名曲北国の春では、まず一番に辛夷咲く丘が春をつげ、二番になってようやく白樺が芽吹いている。辛夷の純白の花がやがて白樺のみどりを呼んでいる光景がリアルだ。
 辛夷は桜のように人の手で群れをなして植えられるものではないので、森のなかにぽつんぽつんとある佇まいがとてもいい。
 軽井沢の町花はもうだいぶ前に「辛夷のはな」と決められた。当時はさあ「こぶしの花」で町おこしと張り切っていたが、そのあとはさっぱりである。
 こぶしの道もなければ、こぶしの公園もない。新しい公園ができても、話題がサクラではつまらない。
 南信濃には花ももの里、松代にはあんずの里があり、今頃は見渡すかぎりの千曲川の黄色い菜の花畑が話題になっても、軽井沢ならではのコブシの花は見落とされたままというのは、宝の持腐れというものだ。
 辛夷の枝はすこし太めだが折れやすい。折れた枝の切り口からはなんとも言い難い香りがたつ。
 花蕾は鼻炎や鼻ずまりの薬になってきた。春先の花粉症には絶好の漢方薬になる。峠の杉がまき散らす花粉の元を断ちきってくれるかもしれない。
 赤い種子を集め、焼酎や砂糖につけると、独特の香りの果実酒となる。軽井沢特産のコブシ酒ができる筈である。
  けふの日も 辛夷の花に 照り曇り   山口青邨


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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