ことばの商業化

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 哲学のことばは難しくてよく理解できなかった。多分勉強不足が原因だった。いつか理解できるようになりたかった。あの頃文学のことばは不変だったし、歴史や道徳のことばも変わらなかった。
 「現代用語の基礎知識」に遭遇したのは、70年代だったような気がする。付録の「若者のライフスタイルを理解する用語集」にいろいろと書かれていた。メディア市場が広くなかったので、言葉自身が商品化することは先ずなかった。
 大正から昭和にかけて「文化」という言葉が商品化され、「文化タワシ」や「文化住宅」が登場したという例を引いて、唯一言葉の商品化について論じたものだ。
 ところが「現代用語の基礎知識」選ユーキャン新語流行語大賞に及び、言葉は商業主義に対するバリアを失ってしまった。毎年メディアに媚びた言葉を量産する。お笑いのことばなどは、ケレンに充ちた刺激剤であって、到底ことばとは言い難い。…ダッチュウノ、ワイルドだろぉ、などお笑いのおどけだが、流行語大賞の審査員は見事ことばへの貞操を失ってしまった。今でしょ、じぇじぇじぇ、お・も・て・な・し、倍返し…なんのことはない四つ並べてテレビ商売万歳の結論だった。審査員はテレビの番宣屋となり、大賞の最終判断を避けたのだ。ここには「ミンナノ顔をたてる事なかれ主義」と「ことばの商業化」に組した現実がある。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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