こくみんの敵・立憲民主

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 「日本には必要のない政党だ」と発言したのは、日本維新の会の馬場幹事長である。必要のない政党として名指しされたのは「立憲民主」。
 立民は憲法改正手続きに関する国民投票法改正案について、ここ3年間八国会で審議妨害をしてきた。立憲民主を名乗りながら、憲法にふれるのが余程嫌いらしい、変な政党である。憲法について国民投票することすら嫌う、という意味不明の政治団体である。
 憲法改正について国民がようやく考えるようになったのは、先ず第一に、隣国中国の領土野心が我が身に降りかかってきたからだ。海の底に石油がねむつていると判るやいなや、抜け抜けと「尖閣諸島は我が中国の核心的領土である。」と言い出した。そのうえ海警法なる法律をつくり、
侵入してきた船には砲撃を加えてよしとした。つまり一方的に宣戦布告してきたのだ。
 国際海洋法条約では、領海内にあっても無害通航にたいして強制的措置はとれないのだが、海警法では領海どころか彼らが勝手に決めた管轄海域で武器使用をするといっているのだ。
 日本の海上保安庁も自衛隊も、憲法に縛られて緊急事態への対応がまったくできない。 尖閣防衛は風前の灯なのだ。
 第二には未曾有の武漢コロナ禍だろう。憲法には首相や政府に強い権限を付与する緊急事態条項がない。
 コロナウィルス特別措置法ではなにもできない。できるのはメディアの言いたい放題と都知事のパフォーマンスぐらいか。菅首相も手足を縛られたままで、さぞ悔しい思いをしていることだろう。
 ようやく逃れられないと覚悟した立民だが、それでも国民投票法施行後3年をめどにCM規制を検討すると付則をつけた。目の前の危機に眼をつぶり、なんとか国民から投票権を奪おうと画策する立民は、維新がいうように「国民の敵」なのかもしれない。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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