きもの知らずのニワカ・スタイリスト

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きもの知らずのニワカ・スタイリスト
 流行はにほんを褒める。
 日本人が改めてにほんを褒める、あまり気持ちのいいものではない。
 レズか、オカマか、長いこと田舎ものだった日本人がオリンピックを機に足元のにほんに眼をむけるようになったのはご同慶の至りではある。
 恥ずかしいのはキモノを褒める日本人とその応援団、時としてテレビや新聞に登場する「きものの良さを見直そう感覚のきもの特集」。
 洋服の花柄流行に乗って、きものにもこんなに沢山のお花の柄がありました、昔からきものの柄は季節の花が主役だったとは全く知らず、洋服のプリントの花柄に追従したきものの花柄あるある情報。
 染のきものと織のきもののTPOなど全く知らないニワカ・スタイリスト達、生まれた時からスェットとジーンズで育ったきもの知らずのスタイリストでは、にほんのきものなど軽々しく語って欲しくない。
 ましてやクールジャパンのキモノ生地によるお土産小物の安っぽさは、おもわず笑ってしまうレベルだ。祇園の花見小路を貧しいキモノを着て、ちょろちょろ歩いている観光舞妓に匹敵する。
 1980年代に流行した「デザイナーきもの」というのがあったが、コシノ・ジュンコのデビュー発表会などで、モデルたちが花魁すがたの着付けで登場したのには驚いた。
 現代の女性とからだを売る花魁を、同じ文化の目線で語るデザイナーの偽物ぶりに驚いた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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