世界一を誇った釜石の大防波堤はどこへいってしまったのだろう。 宮古の黒森神楽で汗にまみれた笑顔を見せてくれた漁師のおじいちゃんは? 山屋の田植踊で傘を回して脱穀のの時を踊ってくれた若者は無事だろうか。 歩くとキュッキュッと音をたててくれたあの美しい女川(オナガワ)の鳴き砂にはもう会えなのかもしれない。 八つの川の水源も河口もすべて町内にあった南三陸町はすべて流されてしまった。 風光明媚を誇っていた三陸リヤス式海岸の「黄金海岸夢探訪」はM9,0の激震と大津波によって正夢となってしまった。
お約束のヘルメットをかぶり、ネクタイに背広姿のレポーターに危機感はなかった。すぐよこではシャツを腕まくりし、懸命にニュースを送り続けているスタッフがいるのに、瓦礫のなかに呆然とたたずむ老婆の映像を送りながら、これまたとってつけたようなヘルメット姿の女子アナが、カミナガラ伝える津波被害は聞くに堪えなかった。
それにしても原子力安全保安院の危険対策室長と称する人のポーカー・フェイスぶり、言っていることは全く要領を得ないし、庶民の身に降りかかる心配がわかっていない。枝野幸男官房長官という人も珍しい。原発の危険、破損について発表しているのに表情がまったく動かない。これまたポーカー・フェイス、ぷっくりと食べ過ぎた顔をして「心配ありません」を繰り返すデーター人間。役者なら怒鳴りつけるところだ。その表情で伝わるか。もう一度やりなおせ、と駄目だしをしたくなる。レンホー節電対策担当大臣に至っては笑ってしまった。この内閣は大災害を玩具にしているとしか思えない。節電しなければならないとは国民が一番よくわかっている。レンホーに言われたくない。予算関連法案も成立していない瀬戸際で、時の氏神とばかり政治休戦を申し入れ、菅総理は毎日嬉しそうに記者会見を開いている。あなたは亡国の総理大臣だ。
がれきの三陸海岸
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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