かまくら華正楼・文学館・小花すし

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かまくら華正楼・文学館・小花すし
 久しぶりに鎌倉に足をむけた。
 高校時代、小町通りのどんつき雪の下で夏を凌いだこともあるので、故郷に帰ったような気がした。
 鎌倉の風は潮風にみどりの混じった独特の香りがする。
 長谷にある華正楼が素敵だから食事を、というアメリカ帰りの友人の誘いだった。椅子テーブルの置かれた三階の和室からは鎌倉の海が一望でき、昭和初期の由緒ある建物のしつらえも素晴らしく、料理の味とともに久しく忘れていたレトロな贅沢を味わった。
 かって鎌倉映画人たちの贔屓であったと聞けば、小津安二郎と原節子もひょっとしてこの部屋でのひとときを楽しんだのかもしれない。
 食後、腹ごなしに直ぐ近くの長谷観音を訪ねた。
 過ぐる年、海外の客人を伴って訪れた長谷寺で、その客人が恐怖におののいて逃げ出したことがあった。その時長谷観音は全山小さな風車を背負った水子地蔵に覆われ異様な光景をつくりだしていた。水子供養の話をきくや異邦人はガタガタと震え泣き出したのだ。
 あれから何年、あの水子の山はどうなったか、そんな興味もあった。寺はすっかり表情を変え、立派な作庭とともに水子地蔵も片隅にまとめられ、地蔵堂の穴倉では、若い訪問者の嬌声が充ちていた。
 陽が落ちるには、もう少し時間があるというので鎌倉文学館へ。さすが加賀百万石のお殿様の別荘だった文学館は和洋折衷の素晴らしさ、アールデコがあると思えば、和風の伝統様式もあり、鎌倉文士・前夜とその時代を凌駕していた。
 夜は夏目雅子と伊集院静の恋の仲立ちをつとめたという、小花すしで二段重ねのちらしを堪能した。
 ……江ノ電もいっぱいの観光客と若者で元気に走っていた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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