かけ声も歌舞伎のうち

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 「成田屋!」「音羽屋!」「山城屋!」大向こうから声が掛かる。歌舞伎ならではの空気が劇場全体を支配する。オペラのブラボー隊とは根本的に異なる。いろいろな声の掛け方があり、芝居を盛り上げ、役者をたて、観客を劇空間に巻き込む。掛け声する人々には頭が下がる。
 歌舞伎の世界には、劇場公認の掛け声の会があり、そこの会員には劇場から無料のパスが発行されている。東京には寿会、弥生会、声紋会など、関西には初音会などがある。
 まず礼儀としては、屋号を掛ける。団十郎は成田屋、菊五郎は音羽屋、仁左衛門は松島屋、藤十郎は山城屋といったぐあいだ。さらに屋号に接頭語をつける。大播磨、大松島といった具合だ。さらに何代目という菊五郎には七代目、団十郎には十二代目、自宅のあるところに因んで、先代松緑の紀尾井町、団十郎の代官山、幸四郎のラ・マンチャとか、吉右衛門の鬼平など異なるジャンルはとりあえず無視するというのが、無言のルールになっている。
 大向こうからの褒め言葉にはヨクデキマシタ、幕が開いて見事な大道具、舞台装置にはハセガワという声がかかる。歌舞伎の道具方が長谷川勘兵衛という人だったところからきている。
 道行もので、待ってました、ご両人などという声がかかると、なぜか嬉しくなる。
 役者がイキをつめているときは掛け声はご法度だが、イキをすっているときにタヤッ(成田屋)ワヤッ(音羽屋)などという声がかかるのは、狂言のセリフをよほど熟知していなければ、声はかけられない。掛け声は芝居と一体になっている。見事な見得や幕切れの柝頭にはいる掛け声は芝居の楽しみを100倍にする。
 そしてなによりも不可とされるのは、前のほうからの掛け声、とくに桟敷や一階席からは絶対に駄目とされている。前から声をかけると、後ろの客がノケモノになって、劇場全体がさめてしまう。この辺りが、クラシツクのブラボー隊とは全く違う。全休符で終わる曲や死者を悼むためのレクイエムで、前方でブラボーとわめくとんでもないファンが横行するコンサートにはガツカリさせられる。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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