お粥は謝甜記・シャテンキ

by

in

「私たちはあそこしか行かないから。」中華街に住んでいる中国人モデルから教えて貰い、義理堅くいまだに通っている店がある。横浜中華街東門からほど近く交番の並びの謝甜記(シャテンキ)だ。満珍楼や重慶飯店のごとく豪華な店ではないが、中華粥の専門店として、いつも行列のたえない人気の店。ここの行列があまりに長い時は、香港路の右側にある安記をめざす。謝甜記の一押しは、サザエ、イカ、白身魚の入った三鮮粥に、付いてきた葱醤油をかけていただく。雑菜も良く合う。とにかく胃もたれしないし、はじから消化する気分がなによりだ。雪に埋もれた山の出湯で、朝、梅干しといためた野沢菜が添えられたお粥を出されるのも至福のお膳である。白い雪景色に眼を奪われながら、おこたで白粥をすする。日本ならではの食道楽ではなかろうか。フランスのそば粥、ロシアのカーシャ、と世界中にいろいろな粥はあるが、一月七日の七草粥、小正月の小豆粥、などの行事粥は、近頃業者の陰謀により流行ってきた恵方の丸かぶりなどよりも、はるかに体にいい食であるし、病のときのお粥さんや上澄みの重湯にも感謝を捧げねばならない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ