元旦を迎えるとほとんど何も考えずに「おめでとう御座います」と挨拶してきた。
今年もどうぞ宜しくお願いします。
日本を威嚇している習近平に言っているわけではない。
ウクライナを侵犯し、核使用をちらつかせるプーチンにも言いたくない。
中国の軍事研究に協力し、日本の軍事研究を拒否する日本学術会議にも言わない。
防衛力、防衛予算について、説明が足りない、理解できないと言っている野党とテレビの司会者にも挨拶したくない。
オメデトウ、今年もどうぞよろしくと云いたい相手はほかに沢山いる。
例えばプレバトの光宗薫……彼女は「かやと称する文学老女」に匹敵する信念と才能をもっている。
彼女のボールペンによる細密画とオイルパステルの作品には鬼気せまる才能を感じる。
自己承認欲求などまったくない彼女は、脳ミソも内臓も吐き出しながら絵を描いている、と自ら発言している。自分を納得させるためだけに絵を描いてきたという。
筆者の青春時代にはそんな自由はなかった。
社会が力をもって公の論理を作り上げ、私の倫理もしっかりと家を守っていたので、形のない自分の才能など主張できる余白はまったくなかった。自己主張のフィールドがまったく異なっていたというべきか。
光宗薫は17才でAKB48のメンバーになるも摂食障害に悩まされ、タレントを辞めてからはひたすら絵を描くという日々を送って今日の場をえた。彼女には「スーパー劣等生」と云いながら絵を描き続ける凄さがある。
山下清に似た生き様を感じるが、これは羨望でもある。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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