”おにぎりの三角四角に母の味” おにぎりのかたちは昔から丸 三角 四角のどれかと決まっていた。
体育会系の元気な友達はいつも大きな丸いおにぎりをほお張っていた。三角のおにぎりには神様が宿っているからと、言い聞かされていたが、関心は中身の方だった。戦争中は梅干しかおかかが標準だったが、たまに佃煮やらつなが入っていると嬉しかった。
江戸中期に四角い浅草海苔が普及した頃から全国的に流行ったのがおにぎりのルーツといわれている。飛脚や旅人の携帯食として重宝されたようだ。
全国的にはおにぎりと呼ばれ、東海道筋ではおむすびと呼ばれた。
その地域差がそのままコンビニのおにぎり戦争に引き継がれた。ローソンではおにぎりと称し、セブンイレブンはおむすびと称している。
アメリカ発祥のコンビニが本国を超え、日本独自のコンビニに発展したのは、1980年代のコンビニおにぎり戦争だったといわれている。
巻かれた海苔がパリッとしていなければ嫌という発想から、包装に工夫をこらし、どのおにぎりが簡単に早く海苔が巻かれて食べられるか、といったバカバカしい番組まであった。
そのあとは具の戦い、鮭、明太子、いくら、を追いかけて つな 納豆、おかか、こんぶ、梅とあらゆる具材が登場した。
気がつくと「おにぎらず」などというおにぎりの植民地風が登場、海苔のうえにごはんを引いて、ハム、チーズ、ソーセージ、ベーコン、レタースなどのせて、広げた海苔をそのままたたんだ ごはんサンドのような手抜きにぎりがもてはやされていた。
そして今、ポストおにぎらずとして、「スティックおにぎり」が人気をよんでいる。海苔は歯につくのでいや、という我儘の声に答えて、海苔ナシのラップにごはんをひろげ具材を散らして巻けばOKという、手も洗うことなく母の愛も伝わらない平成の棒状にぎりにママたちは食いついている。
おにぎり・おにぎらず・スティックおにぎり
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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