おなじみ民主党のドタバタ劇

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おなじみ民主党のドタバタ劇
 国会前のSEALDsシールズによる戦争反対フェスティバルはようやく静かさを取り戻した。
 政治に無関心な若者たちが立ち上がったと、新聞やテレビは報道していたが、どうも実態は違うという報道が散見する。
 シールズは戦争反対、安保反対、をラップ風に合唱し、中身のない論拠をいかにも国民の声のごとくに憲法9条論とすり替えてイベント化したのはなかなかの腕前だった。
 尻馬に乗ったのはお馬鹿な民主党、枝野幹事長、岡田党首、蓮舫議員とお馴染みの顔、打つ手のない国会から舞台を国会前に移して、安保関連法案廃案まで頑張ろうと、おおいにアジッタ。
 シールズの街宣車が全労連のクルマだったのがバレテ、どうもこの度の戦争反対デモには、うしろに大物の振付師がいるのではないかと噂がながれてきた。
 時を同じくして登場した共産党の不破哲三前議長の発言で腰が抜けたのは民主党御一同。不破前議長は、この国民の声を背景に、共産党、民主党、維新など野党を結集して、国民連合政府の樹立を唱えた。
 その場限りの反対趣味の民主党に、そんな覚悟は全くない。
 共産との連立では尻の毛までぬかれることは必定、党内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、岡田党首の声も小さくなり、屋台骨のゆらぐまえにとフェイドアウトとなった。
 海外のプラカードをぱくったり、キャッチを連呼してストレス発散のシールズも、バックとなってくれた勢力への恩返し、しばらくは安保法案賛成議員の落選運動をすると宣言しているが、どうやら今回の安保法案反対運動は、山本太郎、石田純一、室井佑月、等おなじみの軽い文化人が、あまり頭の良くない奥田愛基に乗せられた政治的合唱イベントに終わった。
 いまこの国の置かれている国際情勢をよくみれば、安倍内閣の心配もうなずける。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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