おおむね安全

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 枝野幸男経産大臣という人が、大飯原発の再稼働について「おおむね安全基準を満たしている」と発言している。この「…おおむね」という言葉がうさんくさい。なにかあったとき、慇懃に「私はおおむねと申し上げましたが、絶対とはいっていません。あとは皆さんが判断なさったことです。」いかにも東大出の官僚が使いそうな、こさかしい言い回しだ。
 長らく野にいた民主党のボスたちが、政権をとるやたちまち官僚色に染められ、我々市民の使う日常的日本語ではない霞が関言葉を多用するようになった。霞が関言葉におぼれ、それを使うことで政治のプロになったような錯覚に捕らわれているのではないだろうか。
 「…説明に伺い理解をうるようにいたします。」そして「おおむね理解をいただいたようにおもいます。」初めから再稼働ありきの、ガス抜きであったことが明白なのだ。
 官僚はこうしたとき裏でアメを使う。地元から申請されている公共事業などに、そしらぬ顔で予算をつける。さらに許認可権をもつ地元知事の手柄になるような案件を精査して花をもたせる。霞が関のこうした高等戦術のまえに、反対論は次第に影をひそめ、さしもの強硬派知事も落城する。
 日本の現実をみて、イタリアも、スイスも、フランスも、ドイツも、みな脱原発をめざしているが、日本では原発必要論がじわじわと広がっているのが悲しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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