ワールド・サッカーの季節になった。
ジャニーズだの芸能人がテレビに出まくって勝手に興奮する。具体的な解説は出来ないので、応援団と称してやたらウルサイ。なかでも嫌なフレーズは「感動をありがとう」という目障りな横断幕やもつともらしく芸能人がいう感動感謝隊だ。感動するほどのゲームが展開したのなら、ひとりでまたは一緒に行った仲間と感動したらいい。どんなゲームになるかも判らないうちから、横断幕を作ってそこに「感動をありがとう」と書く神経が理解できない。どうせこんな嘘くさい言葉は廃れるだろうとおもっていたのが大間違い、いまや日本中よってたかって感動ごつこになってしまった。
生死にかかわる場面や、戦争の悲惨なシーンでこその感動が、ボールゲームや三回転ジャンプ並になってしまい、感動できる私、それにお礼のいえる私はどう?といった自己アピール合戦に変わった。
「感動をありがとう」の前任には「私を褒めてあげたい」という嫌なセリフもあった。アスリートというのは、褒める褒められるを超えたスポーツへの純粋なチャレンジャーだと思っていたが、いつのころからか褒められてなんぼのいやな世界になった。ましてや褒めるという行為は第三者が献じるものだが、まわりが何も言っていないのに本人が勝手に「私を褒めてあげたい」では吉本喜劇もびっくり。本来不器用で素朴なスポーツマンというイメージをもっていたのが、ああ勘違いだったのかもしれない。
そのあとに続くのが「勇気をもらった」といういやなセリフ、アスリートたちはとにかく「勇気をもらいました」「応援、よろしくお願いします」の一本槍、長いあいだの「自分探し」に失敗して、さてつぎは「感動探し」という、感動のない人生にはまったさすらいの旅人たちなのだろう。
いらない!「感動をありがとう」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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