…雨あめ降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな…昭和の風景である。
歌舞伎なら、助六が花道で大見得をきるとき、蛇の目の和傘がさらなる助六の大きさを演出する。破れ番傘には黒沢組の三船敏郎がよく似合う。野点の傘のしたでいただく一服の茶は、やすらぎの充実感に溢れている。
にほんの傘は日除け、雨除けにとどまらず、魔除け、権威の象徴として貴人、神官、僧侶、大名などの出道具にもなってきた。
それがどんどん小さくなり、軽くなり、ジャンプ傘とかワンタッチ傘、一方では使い捨てのビニール傘と、情緒不在の態たらくとなり、濡れないように肩を寄せ合ってひとつの傘をさす「相合い傘」は死語になってしまつた。
がそんな日本の傘文化に触発されたカナダのアーティストがいた。ディチェザレは傘の実用性をキャンパスに、斬新かつ革新的な傘のデザインを次々に発表している。貝殻をモチーフにした上品な変形傘、パラシェル、長い骨と短い骨が不思議な円を描き、オシャレなレースが密集して傘をなした白と黒の作品など、とても可愛いとても面白い、傘をさす感覚ではなく傘を帽子のように被って欲しいという。すつぽりと被ってハンズフリーの傘もあるし、雲がデザインされた日傘、持ち手にスピーカーのついた傘、傘立てがなくとも自立する傘、さらに二つの傘がつながつたV型カップル傘など、予想もできない形のデザイン傘が生まれている。
巷では核の傘の原発被害で大騒ぎ、テレビ局は伸助引退のあとの雨傘番組で右往左往、一つ目一本足、赤い大きな舌のカラカサお化けが、お墓のかげで笑っていることだろう。
いま傘が面白い。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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